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上機嫌でいこうw

松かさの生活と意見ほか

幸せになる勇気(岸見一郎・古賀史健)

おはようございます。

昨日、『幸せになる勇気』(岸見一郎・古賀史健)を一気に読了しました。以下は、管理サイトに投稿したものです。

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

【目次】

第1部 悪いあの人、かわいそうなわたし
第2部 なぜ「賞罰」を否定するのか
第3部 競争原理から協力原理へ
第4部 与えよ、さらば与えられん
第5部 愛する人生を選べ

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前作『嫌われる勇気』から3年。哲人との「対話」を終えた青年は、教育の現場で「叱らない・ほめない」アドラー的教育に絶望し、煩悶していた。彼は再び哲人の部屋を訪ね、「最後」の対話が始まった。

今作は、このようにアドラー的人間関係の「実践編」として、まず「教育」の現場での応用がどうであったかという設定から始まっている。哲人の言うように、アドラーは俗流の理解や誤読がされてきた思想家である。青年は、時として苛烈な言葉で哲人を攻め立てる。しかし哲人は動じない。

「賞罰」を用いた教育とは、生徒への信頼と尊敬を欠いたものであって、本来の教育の目的である「自立」の援助が果たせない。自立とは、赤子がその弱さでもって世界の中心に君臨しているような状態(自己中心性)からの脱却を意味する。

自立を促すためには、その当人もまず「自立」していなけらばならないのだと思う。前作でも取り上げられている人生のタスク、即ち、「仕事」「交友」「愛」のタスクから目を背け、幸せになろうと決意していないということだとされていると考える。

仏教には、「現当二世」「受持即観心」という考え方がある。「現」とは現在、「当」とは未来を示し、過去にとらわれることなく、いよいよこれからだという考え方に通じる。「受持即観心」とは、法を持つ(たもつ)ことが、即悟りを開くというほどの意味である。アドラーの言う「人はたった今、この場から幸福になることができる」というのは、こうした仏教的な見方に通じていると思う。